先日のGWに新幹線に乗ったときに、「時代の先端を行く雑誌」『Wedge(ウェッジ)』を初めて読みました。
その本紹介のページで紹介されていたのが『超人ナイチンゲール』栗原 康(著)です。
ナイチンゲールの生涯を読みやすい独特の文体で紹介しています。
ナイチンゲールの伝記(現代版)といった感じの本です。
ナイチンゲールについてはほとんど知りませんでしたが、ぶっ飛んだ生き様に衝撃を受けました。
印象に残った点を紹介します。
つぎのキリストは、おそらく女性だろう
「つぎのキリストは、おそらく女性だろう」というのは、ナイチンゲールが自伝小説に書いたセリフだといいます。
ナイチンゲールの時代のイギリスでは、上流階級の女性が働くことも許されず、就きたい職業につくこともできない時代でした。
とてつもなく頭が良く教養があった彼女が、自分の能力を活かせない、就きたい職業に就けないことに憤っていることを表しています。
しかし、彼女は看護という自分の天職につくために突き進みます。
16歳のナイチンゲールは神の啓示をきいたといいます。
「神は私に語りかけられ、神に仕えよと命じられた」とナイチンゲールは書いています。
わたしは神に仕えているのだから、ほかの子とはバイブスが違う
もちろんナイチンゲールがこう言ったのではなく、『超人ナイチンゲール』からの引用です。
ナイチンゲールは神の啓示に従ったので、ぶっ飛んだ生き方ができたのです。
自分よりも大きななにかに従っていきるのが、強い力になるように感じます。
別に神ではなくても、松下幸之助さんが世の中のため、吉田松陰が日本のために生きて死んだようにです。
歴史を変えるほどすごい成果を残す人に共通していると思うのが、
狂気じみたエネルギー、異常なまでのモチベーション、です。
自分の信じたことをやり遂げる執着。
神の下僕となることが真の自由
神の下僕となりて行動せよ。それが真の自由なのだ。
絶対的な受動性こそが自由である、とナイチンゲールはいいます。
ここでいう「神」とは、「自分よりも大きななにか」と解釈します。
宮本武蔵の生涯を描いた漫画『バガボンド』では、以下のような沢庵和尚のセリフがあります。
お前の生きる道はこれまでも、これから先も天によって完璧に決まっていて、それが故に完全に自由だ。根っこのところを天に預けている限りは…。
(『バガボンド』29巻。井上雄彦著。)
天によって完璧に決まっているから自由。
これもナイチンゲールのいう「絶対的な受動性」ではないかなと思います。
なぜ絶対的な受動性が大事なのか、行動規範になるからじゃないでしょうか。
ナイチンゲールの場合、「神」が「お前は看護に生きろ」と言っている。
それに優先する判断基準は存在しないわけです。
神に従っているのだから、親が反対しようが、社会で求められる女性の役割とか、それに左右されることはないわけです。
つまり、迷わないから強いし、目的に向かう途中で一切のブレーキがかからない。
もちろん、普通の人から見たら完全に狂っているわけですが、極端に大きな成果を残す人はみなそうなのかと思います。
「それが天職だとおもうなら、いけ。」
ナイチンゲールを導いてくれた人の一人、ハウ博士のことばが印象的だったので引用します。
進みなさい。それが天職だとおもうなら、いけ。心のひらめきにしたがって行動するのです。
天職をみつけたいものです。ここまでの使命に生きられたら、と思います。
べつに国民のためじゃない
国民のためになるから看護するんじゃない。戦争協力で女性の権利がみとめられるからたすけるのでもないし、看護師の地位がたかまるからそうするのでもない。利益も見返りもない。ただ自己無化して、他人に手をさしのべるのだ。はたらくがゆえにはたらく。看護に理由はいらない。
「看護に理由はいらない。」
正直、わたしには理解できないです。
でもこれだけ確信を持って、狂気的な自信というか迷いのなさで、自分の仕事に取り組めば並外れた成果になることはわかります。
自分の利益のために行動すると、人はあまり強くなれないのかもしれません。
「世のため人の為」って言いますけど、結局その方が力が出るのが人間なんじゃないかな、と思います。
まとめ
今日は、栗原 康さんの『超人ナイチンゲール』を読みました。
自分の使命に突き進むナイチンゲールや仲間たちの姿は狂気そのものです。
本書では、死んでいくのは病人や兵士ばかりではありません。
看護師や政治家など、ナイチンゲールといっしょに働いた多くの仲間たちが、次々に過労死していきます。
もちろん、過労死はしたくないですが、それだけの熱意を持って仕事に取り組んでいるだろうか、と自分にも問いかけたいと思います。
やる気に悩むすべてのビジネスマンに、この本をおすすめします。